新春を迎え、皆様のご健康とご多幸をお祈り致します。
ドイツでは、豚がなぜ幸運を運んでくれるかと、不思議に思ったことがありませんか。
ハンブルクから約50キロ離れているリューネブルクには、その具体的な事例があります。野生の豚であるイノシシがその街の富みの元であるそうです。
伝説によりますと、中世には立派なイノシシが狩人の目にかかりました。イノシシを槍で殺しきれず、イノシシは大けがをしたが逃げてしまいました。イノシシの後を追った狩人達が漸く、疲れ切って、茂みの中で横になったイノシシを見つけました。
しかし、いきなり日が差すと、狩人が妙なことに気づき、びっくりしました。毛が普段は真っ黒のイノシシのおなかがきらきらと白く輝いていました。きらきらを調べると、当時の貴重品であった塩でした。
食べ物の保存などに効くので、お塩が「白い黄金」とのあだ名が付くほど、中世ヨーロッパで大事にされました。そのためには、狩人がイノシシの毛にくっついている塩がどこから来たかを知りたがったのは不思議ではありません。イノシシの足跡を辿ると、塩が混じっている水たまりを見つけると、大変おめでたいことでした。イノシシが明らかにその水たまりで遊んでいたので、穴を掘ってみると、大量の塩水が地面から出てきました。
このことをきっかけに塩の産業が発達し、リューネブルクが確かに大変お金持ちで力強い都市になり、何百年も栄えていました。昔の資料を見ると、市の塩産業が1000年以上長い歴史を持ち、リューネブルクがかなり早めにハンザ同盟に加盟し、塩のおかげで大変豊かな都市となりました。リューネブルクでつくられた塩の主な使い道がバルト海のニシンの保存でした。そのおかげで、リューベックなど、バルト海に面する都市がニシンを陸内などに輸出でき、商業が栄えていました。
リューネブルクと「ハンザ同盟の女王」と言われるほど権力を持っていたリューベックの間には陸と運河を通る「塩街道」が今でも有名です。運河が中世と比べて一回りと大きくなりましたが、運河沿いにはサイクリングロードができましたので、一度走ってみることが大変お勧めです。リューネブルクと塩産業の歴史を紹介するの「塩の博物館」を見学して出発し、終点であるリューベックのホルステン門のそばにある塩倉庫を眺めて、塩の路を辿ることができます。さらには、リューネブルクとリューベック、両市にはすばらしい建築遺産が残っていますので、街並みも見事です。
しかし、塩がリューネブルクに富をもたらしただけではないのです。今は、昔の塩産業のために悩むこともあります。なぜなら、リューネブルクの塩が岩塩ではなく、土に含まれているものですので、水を地下に流し込み、ポンプで上げた塩水の水分を飛ばし、塩を作った産業であるからです。この製造方法が当時、海の塩よりずっと白くてきれいで、さらさらした塩をつくることができましたが、地下水の流れが乱れて、地盤が今でも少しずつ沈下しています。その結果、傾く建物が今でも少しずつ増えていきます。
ところで、リューネブルクの旧市を見学すると、塩水のわき水を見つけてくれたイノシシが大事にされていたことがわかります。中世の人々がいいことを教えてくれたイノシシの肉を食べずに、骨を大事に残しています。そのためには、旧市役所のガラスの箱に入っているイノシシの肩骨が今でも見学でき、街の命と偶然を考えることができます。
(2019年元旦)
最終更新:2019年1月1日
© Susanne Elfferding. All rights reserved.