ケルンは2000年ほど前にローマ帝国の駐屯地として生まれ、当時の名前は「CCAA(Colonia Claudia Ara Agrippinensium)」でした。よくよく見ると、ローマ人が作った道路網が今でも中心市街地の地図で見受けられます。現在の人口は100万人ぐらいで、ケルンはヨーロッパの最も古い大都市とも言われています。
「ケルン」と言えば、ほとんどの人が大聖堂を思いつくのではないでしょうか。1248年から1880年の間に中世の街の北端で建てられたこの大聖堂が純粋なゴシック様式建築物として1996年に「世界遺産」に登録されました。しかし、ライン川の対岸で行われてきた工場跡地などの再開発のために大聖堂が2004年から「危機遺産」に指定され、再開発計画が一部調整された2006年にやっと普通の文化遺産に戻りました。
ケルン中心市街地での工事が今でも続いています。例えばライン川沿いの旧港や1920年代に建設された見本市のなどが現在、再開発の対象となっています。
駅前広場とオープンカフェー
ヴォターフロント整備
持続可能な草刈り機
自転車用リアカー
ツヴィッカウは自動車工業都市として有名です。高級車「ホルヒ(Horch)」の工場が1904年に市内で設立され、1957年から1991年の間に東ドイツの「トラバント(Trabant)」がツヴィッカウで製造されました。現在は「ヴォルクスワーゲン(Volkswagen)」の工場があります。
ツヴィッカウはクルマだけではありません。「白鳥の都市」とも言われているツヴィッカウの紋章や伝説には白鳥が登場し、「白鳥の池」は今もありますが、「白鳥の宮殿(Schwanenschloss)」が崩れるおそれから1991年にやむを得ず取り壊されました。
ツヴィッカウが人口流出や過疎化など、旧東ドイツで典型的な問題を抱えています。人口が1950年に14万人にも及んでいましたが、職や豊かな生活を求めた多くの人がドイツ統一後に他の地域に引っ越しました。現在は10万人弱しか残っていませんが、人口が今後も減る見込みです。
人口8万人弱のデッサウ市はザクセン・アンハルト州に位置し、世界遺産として登録されているデザイン学校の「バウハウス」で有名です。今でも使われている校舎やW.グロピウスなど、先生たちが暮らしていた住宅、そしてエルベ川沿いのレストラン「コルンハウス」は本当に見事です。
バウハウスの他には、18世紀末の「デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国」も世界遺産となっています。デッサウが一番栄えていた時代はまさにその18世紀です。ヨーロッパでも先進的な貴族に支配され、教育と文化の促進が重視され、隣のヴェルリッツではドイツ初のクラシック様式の庭園と宮殿が建設されました。今でも必ず見るべきで、本当にすばらしい遺産です。
しかし、すばらしい文化遺産が多くても、旧東ドイツの多くの都市と同様に、人口流出などの問題も抱えています。そのため、市は2007年7月に隣のロスラウ市と合併し、「デッサウ=ロスラウ市」が生まれることになっています。
水や緑の多い商業都市ハンブルクは中世にハンザ同盟の都市でしたので、正式的な都市名は今でも「自由ハンザ都市(Freie und Hansestadt)」との言葉を含みます。人口は現在約175万人です。
ハンブルクの旧市街地はアルスター川がエルベ川に注ぐ地点に位置し、海までの距離は100 km以上で遠いのですが、ハンブルクは今でもドイツ最大の港を持っています。大きなコンテナ船を市内でも毎日のように見ることができ、毎年の5月7日に開かれる「港の誕生日パーティー(Hafengeburtstag)」に際し、さらに世界各国の大型帆船が街を訪れます。港の音や景観が実に生活に密着しています。
中心市街地の歩行者エリア拡大と再整備やウォーターフロント再整備が大きな課題となっています。主に19世紀末に建築され、今の貨物船に適しない赤煉瓦倉庫が並んでいる「自由港(Freihafen)」の転用が最近特に注目されています。再整備の一環としては2009年までにある倉庫の屋上にコンサートホールを建設する計画があり、整備費が住民や企業から募集されています。
グリム童話の一つである「ブレーメンの音楽隊」に登場するロバ、犬、猫と鳥の銅像がブレーメンの市役所付近にあることは日本でもよく知られているようです。さらに、延長600 kmの「ドイツ・メルヘン街道(Deutsche Märchenstraße)」がグリム兄弟の足跡と童話に関係のある場所を繋げ、ブレーメンからフランクフルト付近のハーナウまで続いています。
しかし、ブレーメンの人にとっては「ブレーメンの音楽隊」よりも市役所前の「ローラント(Roland)」石像の方が意義が深いと思われます。なぜなら、1404年に立てられたこの石像が昔から都市の貴族などからの自由、市場を行う権利と裁判を行う権利を象徴してきたからです。「ローラント」の石像とルネッサンス様式の市役所が2004年に世界遺産に登録されました。
ブレーメンの人口が現在55万人弱で、市が昔から貿易と港の街です。しかし、戦災や戦後の再開発のために、多くの建築遺産があいにく失われてきました。
1990年のドイツ統一以降、ドイツ連邦共和国の首都である。人口350万人弱のベルリンは、ドイツ最大の都市です。第二次世界大戦後、ベルリンが40年間も東西に分断されていたので、市には今でも二つの都心があります。
私にとってはポツダム広場がドイツの東西分割とベルリンのドイツ統一後の発展のシンボルとなっています。学生の頃、初めてベルリンを訪れたときにポツダム広場がベルリンの東西境界地帯にあり、どこからも足を踏み入れることはできませんでした。統一直後に再び行ってみた時には、広場を散歩できるようになっていましたが、砂漠のような風景で寂しい印象を持ちました。その後も何回か行ってみましたが、建物がどんどん増えて、活気のある所になってきました。
ベルリン全体も同様です。工事現場が多く、都市の顔が年々変わり、東西の境界線が少しずつ消えていきます。それにもかかわらず東西ドイツが人の頭の中から消えて、国が本当に一つになるのはこれからどれぐらいの時間がかかるでしょうか。
最終更新:2009年9月26日
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