隣のケルンと同様に、ボンの歴史はローマ人の駐屯地から始まりました。この駐屯地から少し離れて中世から形成された中心市街地においては、特にロマネスク様式の大聖堂やバロック様式の宮殿と旧市役所が有名です。建物の外観を守りながら、その一つである宮殿が現在大学の校舎として使われています。
ボンは1949年から1990年まで旧西ドイツの首都でしたが、人口31万人強で驚くほど小さい街です。市が首都に選ばれた理由はいくつかありますが、街の規模がドイツの分離が暫定的なものであることを象徴し、新しい政府が集まる大きい建物も戦争後に残っていたことは重大な理由だったそうです。
ベルリンが統一直後に首都になり、連邦政府が1999年にベルリンに引っ越したときに、ボンは寂れてしまうのではないかと心配の声が聞かれましたが、市が特別な補助金を受けるだけではなく、大学の施設、国連の機関や通信関連の企業が増えて、街が政府機関の移転後に逆に栄えてきました。
19世紀の工業革命をきっかけに炭鉱の開発が始まり、ルール工業地帯の北西部にある小さな町村が合併し、マルルが生まれました。主な産業は20世紀に炭鉱から化学工業に変わったが、本当の中心市街地が形成されなかったので、地理的な中心となっている地点に1960年代以降に人工の池、市役所、ショッピングセンターと住宅を整備することになりました。
ノルトライン・ヴェストファーレン州で自転車交通促進組織である「AGFS」が設立されて以来、自転車交通の促進に熱心なマルルがその会員となっています。マルルの自転車への愛着は化学工業から生じました。爆発を起こすおそれから工場の敷地内での自動車が禁止されて、広い工場内の交通手段は自転車です。
なお、EUの自転車促進策アセスメント「BYPAD」において、マルルが2003年にドイツ最高の得点を得ました。
人口5万人弱のラーベンスルブルクは南ドイツのボーデン湖付近にある都市で、年中に暖かい気温に恵まれています。市内にある企業の中には、ボードゲームやジグソーパズル、そして子供の本を作っている「ラーベンスブルガー株式会社」がドイツ国内外で特に有名です。
ラーベンスブルクは11世紀に設立され、中世の間に商業都市として栄えていました。その結果、今でも豊かな建築遺産が多く、中心市街地においては中世に建設された、数多くの立派な塔が目立ちます。
さらに、同市は「ルーテンフェストラーベンスブルクは11世紀に設立され、中世の間に商業都市として栄えていました。その結果、今でも豊かな建築遺産が多く、中心市街地においては中世に建設された、数多くの立派な塔が目立ちます。」と「ファスネト」という2つの古い祭りで広く知られています。劇や射撃大会が主なアトラクションである「ルーテンフェスト」は少なくとも17世紀後半以降に開かれています。ケルン周辺の「カーニバル」に相当する「ファスネト」のルーツは中世にあると言われており、独特で色鮮やかな洋服を身にまとい、結構怖い面を被っている人の集団がその特徴です。
「白い黄金」とも呼ばれた岩塩は地下で発掘され、リューネブルクが中世に重要で豊かな商業都市になりました。しかし、ハンザ同盟が17世紀に滅びるとともに、リューネブルクの影響力も弱まってきました。その遺産として完璧に残された赤煉瓦建築の中心市街地が今でも街の見所です。
歴史を誇り、市で15世紀に初めて開催された「製塩マイスターの祭り(Sülfmeistertage)」を再現するようになりました。この祭りではライブ音楽、コンテストや中世の伝統を再現した行進などを楽しめます。
リューネブルクの人口は7万人強です。1989年に大学が設立されましたので、街が特に若い人に溢れています。夏の暖かい日には至る所でオープンカフェーが開かれ、街や人を眺めて、にぎわいを楽しむことができます。人口200人あたりに飲食店1つほどあり、市がドイツ国内で「飲食店密度の一番高い都市」とも言われています。
細い路地と煉瓦造りの町並みや教会が数多く残っている「ハンザ同盟の女王」リューベックの旧市街地は1987年にUNESCOにより世界遺産に指定されました。
リューネブルクで作られて、「塩の旧街道」や運河を通して市に運ばれた塩の輸出で富を引き寄せたリューベック市が13世紀に北ヨーロッパでも一番大きい商業都市でした。リューベックで販売された塩がバルト海で取られたニシンの塩漬けなどに使われ、食料品を保管できるので当時は「白い黄金」と言われるほど貴重なものでした。
現在のリューベックは人口21万人強の大都市ですが、狭い中心市街地から自動車交通をなるべく排除する交通政策が1980年代に大きな議論を引き起こしましたが、同じような整備を今、ドイツ各地で見られます。
人口13万人弱のレーゲンスブルクはバイエルン州の4番目に大きい都市です。ドナウ川とレーゲン川が合流する場所に建設され、レーゲンスブルクが「ドナウ平野(Donauebene)」に面しながら背景に山があるので市街地がとてもコンパクトです。
12世紀に建設された、ドナウ川を渡る石橋と13世紀に着工された大聖堂が街のシンボルです。レーゲンスブルクの中心市街地が主に中世に形成され、狭い路地とお金持ちの市民が13世紀に建設した豪華な建物が今でも多くあります。その中では、中世の人が影響力を表すために争って、なるべく高くしようとした住宅の塔が特に目立ちます。同様な塔は他にイタリアでしか見られません。
市はあまり大きくありませんが、誇るべき歴史を持っています。1663年から1803年の間にはドイツローマ帝国の議会がレーゲンスブルクで開かれ、街が帝国の有力者とヨーロッパ各国の代表者でにぎわいました。
最終更新:2008年9月14日
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マルルの写真はウィキメディアコモンズの写真に基づきます。
撮影:Daniel Ullrich (利用者:Threedots)。
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ラーベンスブルクの写真はウィキメディアコモンズの写真に基づきます。
撮影:Andreas Praefcke。
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