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「アンペルマン」と「アンペルフラウ」

アンペルマン
ツヴィッカウの「アンペルフラウ」。撮影:André Karwath *

旧東ドイツにおいて歩行者信号のシンボルとして使われてきた「アンペルマン(Ampelmann)」はご存じでしょうか。それとも、その女性版である「アンペルフラウ(Ampelfrau)」は見たことがありますか。

「アンペルマン」のシンボルが1927年生まれの交通心理学者K.ぺーグラウ(Karl Peglau)により発案されました。当時は旧東ベルリン地域行政での交通心理学を担当していたペーグラウ氏が50年代に急増した交通事故を研究し、信号を見やすくする工夫が必要と思いました。

あまり広く知られていないことですが、ペーグラウ氏が提案した信号は、「アンペルマン」のみではありませんでした。

それぞれの交通手段に独自の信号を与えるために、ペーグラウ氏が自動車、バス、路面電車、自転車と歩行者、5種類の専用信号をデザインし、1961年10月13日に市域の交通安全委員会に提案しました。それぞれに一目で自分のものとして認識できる信号を導入し、表示タイミングを工夫することによってそれぞれの青信号の表示間隔を少しずつずらすことにしました。そうしますと、交差点への進入をずらせられ、交通安全を向上させると考えました。

多くの国では信号機に使われている歩行者のシンボルが細いが、歩行者信号を作る際に自動車の信号機に黒いマスクをかけても光を通す面積をなるべく大きく確保できるように、ペーグラウ氏がシンボルを小太りの人にして、さらに帽子をかぶせてみました。赤信号の「アンペルマン」が両手を広げて、歩行者を止める独特な動作をしています。そして、青信号の「アンペルマン」が歩いているので、形が道路の反対側を指している矢印にも似ています。結果としてできあがったシンボルがとてもかわいらしく、誰にでも親しみやすくなりました。

60年代の中頃からは、「アンペルマン」が旧東ベルリンで実験的に使われ、1970年の技術基準改正をきっかけに、「アンペルマン」を旧東ドイツ全国で導入することになりました。そして80年代には、「アンペルマン」が旧東ドイツの交通安全教育に使われるアニメにも登場しました。

信号機

なお、ペーグラウ氏が提案した自動車用の信号も変わりものでした。青と赤の違いを認識できない人もいますので、形を変えたほうが分かりやすいかとの考え、赤を太い横棒にして、青を縦の矢印にしてみました。黄色のみが丸いポツのままでした。しかし、歩行者信号と違って、自動車信号の案が採用されませんでした。

旧西ドイツの法律が1990年の統一後に、旧東ドイツにも適応されるようになりました。新しい基準を満たさない旧東ドイツの信号機を少しずつ交換するようになりました。この交換に対抗して、特にベルリンでは「アンペルマン」を助ける市民運動が生じ、今でもベルリンのおみやげとして買うことができる「アンペルマン」グッズができました。

反対運動が功を奏し、旧東ドイツの歩行者信号機撤去が中止になり、「アンペルマン」が存続しながら、いろいろと進化するようになりました。LEDの「アンペルマン」信号機や「アンペルマン」の歩行者・自転車信号機も登場し、さらに最近では「アンペルマン」が旧西ベルリンでも見られるようになりました。

また、女性の「アンペルフラウ」もできました。男女均等が日本だけではなく、ヨーロッパでも大きな課題となり、オランダやデンマークなど、いくつかの国が遊び心も含めてスカート姿の歩行者信号のシンボルを作り、女性の信号機が従来の信号機にいつの間にか忍び入りました。ドイツの「アンペルフラウ」はその一例で、2004年にツヴィッカウで初めて現れましたが、最近はドレスデンにも出没したそうです。

いたずらっぽい信号機が他にもあります。例えば、下でリンクを張っておいたエルフルトでは、傘を差した人のシンボル、パン屋のシンボルやハイキングに出かけている人のシンボルも登場しました。

外部リンク発案者K.ペーグラウの紹介(ドイツ語)

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最終更新:2007年1月20日
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歩行者信号の写真は外部リンクウィキメディアコモンズ外部リンク写真に基づきます。 撮影:André Karwath (利用者:Aka)。 ライセンス:Creative Commons 外部リンクAttribution ShareAlike 2.5 License